MISAWA satoshi
三沢 さとし
地方創生 館山を創る |
|
MISAWA satoshi |
第35回若潮マラソン 1万人参加 |
|
Tateyama City,Chiba |
update : 2015-02-20 |
◀千葉県議会議員 三沢さとし 2015 ◀◀
Misawa みんなのブログ |
|
たてやまの 三沢さとし です。
「みんなのブログ」コーナーに皆様のご意見ご要望、
また日常でふと気付かれたことなど、
お気軽に投稿いただければと願っております。
まず、今回は最初ということもあり、私の館山への思いの丈を語りたいと思います。
◇「館山に生まれ、育ち、暮らし、いま恩返しを」 三沢さとし
私は館山市に生まれ育ち、地元の小中高へ通い、館山市議会議員をさせていただき、
現在も家族と生まれ育った船形に住居を構え、子育てしながら現在に至っております。
卒業後は一時期木更津に職を持ち通勤を続けるなか、移り変わリ行く館山を見詰めてまいりました。
私の育った那古船形地域は、子どものころは漁業が大変盛んで、学校の帰り道、港に寄り道をすると、
水揚げされた魚が漁港内いっぱいに所狭しと並べられ、東京市場への荷づくり作業をする仲買業者や
漁師の方々で遅くまでにぎわいを見せていた光景を思い出します。
また、那古・川崎海岸では、中学校のクラブ活動でよく走らされた旧一中(現在の市民運動場)下の
海岸線から那古桟橋に至る砂浜は、かって海水浴や地引き網を引く漁が盛んに行われ、
網を引く光景をよく見かけました。
しかし、今日に至ってはかつてのにぎわいを目にすることもなく、海岸線の潮流の変化により、
以前の砂浜はなくなってしまいました。
また、漁業を営むほかの地域と同様、高齢化や後継者不足、漁獲不振が続く中で、漁港や商店街の営みも
徐々に失われ、かっては港周辺に4軒もあった銭湯や旅館もその姿を消しました。
また、国道127号(旧館山バイパス)の開通により沿線に進出する大型店やコンビニ、
娯楽施設やレストランなどの商業施設の出店などで、沿線の景観も大きく移り変わろうとしています。
時代の移り変わりのなか、便利さの裏腹に高速からおりる車は、館山バイパスで館山市街地に誘導され、
旧国道・富浦町多田良から船形を経由する車はほとんどなく、取り残された印象さえ感じます。
かつてのにぎわいや商店の活性化を促すには大変寂しいものを感じます。
県南・安房郡にとり悲願であった高速道路も全線が開通、首都圏へアクセス時間が大幅に短縮された今日、
多くの観光客を受け入れられる社会基盤整備がようやく整いました。
観光立市を標榜する館山市にとって、さらなる飛躍を遂げる絶好のチャンスと考えています。
館山夕日桟橋・渚の駅も開設され、更に関連する都市計画道路船形館山港線(仮称)シンボルロード整備、
ビーチ利用促進モデル事業など北条海岸を中心とした館山湾を一体的に整備、
新しいまちづくりが着々と進められ、多くの市民の方々も強い期待を寄せています。
その期待に添うべく早期実現のために身を粉にして、館山市と国・県との折衝を続け完結させることが、
館山への恩返し、私に与えられた使命の一つと考え、努力邁進いたします。
私の好きな言葉です。
「人は出会って知人となり、語り合って友人となり、活動しながら仲間となる」
私は人を・縁を・仕事を大切にと、いつも心がけております。
|
MISAWA satoshi |
MISAWA satoshi 三沢さとし
Copyright MISAWA satoshi All rights Reserved.
|